内外ニュース福岡懇談会(平成十二年十一月例会)
「待ったなしの教育改革 今こそ論より実行の時」
元文部・農林水産大臣 島村宜伸氏

 
ご紹介を戴きました島村宜伸でございます。本日は、内外ニュースの福岡懇談会、大宅会長さんを始め、まさに西日本地区を代表する方々に貴重なお時間をお割き戴きまして、私の拙い話をお聞き願う光栄をまず感謝申し上げたいと思います。最近、政治家自身の自覚の喪失とマスコミの恣意的な報道とによって、政治家のイメージが大きく後退し、どうも政治家といえば場当たり的な嘘を平気でつく。そして常に私腹を肥やすことに汲々としている人種であるかのように思われていることを大変残念に思いますが、私の場合は昭和五十一年初当選以来、どちらかといえば馬鹿がつくくらい真っ正直に自分の損得を考えずに政治活動を続けてきた人間ですし、当たり前のことですが、どこをつつかれても警察沙汰とは無縁の政治家であることだけは予めご認識戴きたいと思います。

一例を挙げれば、私は初めての選挙に臨むに当たって、たまたま少しくエネルギーを専門的に勉強した関係で、四大公約の一つに「原子力発電の推進」を前面に掲げました。ご承知の通り、昭和四十八年には第一次石油ショックなどがあって、当時、私は中曾根(康弘)先生に師事していたのですが、ある時、先生(当時通産大臣)に呼ばれて、「島村君、ことによると私は命を狙われるかも知れない。それは政治家である以上、覚悟のうえだけれども、自分の家族には何の罪もない。たまたま私の家は袋小路なので、万が一の場合に備えて逃げ道ぐらいつくっておいてやってくれたまえ。」と。そんな悲壮なことを言われたことを今でも記憶しております。あの頃の経済状況はまさに右肩上がりの高度成長が常識化し、日本経済はもうこれからは勢い伸びるばかりであると国中が過信していた時期でしたけれども、一時は本当にお先真っ暗で火が消えたようになりました。その一方で、いつ騒動が起こっても不思議でない状況にあった。あの時くらい資源少国の悲哀を痛切に感じたことはありませんでした。たまたま私は石油会社に勤めておったところを中曾根先生にスカウトされて秘書になり、大臣秘書官などを務めて勉強させて戴きましたが、あの方はなかなかの方でして、先生ご自身からこの本を読めとか、こういうことを勉強しろとか、何も言われないのです。一方、このような席に講師として出席される際、お供をしてまいりますと、にわかに「今日は若手の優秀なのが来ていますし、彼はエネルギーの専門家ですから、エネルギーの話を最初にしてもらいます。」なんていきなり言われます。急だからといって慌てても仕方がないので、こちらも割り切って話をするわけです。だから、どれ程専門家でもない者がいつ指名されても慌てないように否応なく勉強させられたというようなわけです。それらの結果、原子力発電を将来に向かって進展させないことには、わが国のエネルギー政策は成り立たないのだという結論に達したので、私は初めての選挙の時に訴えたわけであります。

少なくともその背景となったのは、石油ショックにぶつかって以来、新しいエネルギーを生み出そうというので、学者、政治家、実業家、官僚が集まって、あらゆる英知を募ったわけですが、残念ながら石油、石炭、天然ガスの不足を補う新エネルギーとして原子力に代わるものは全く見当たらなかった。石油はない。石炭も先行き行き詰まる。風力、波力、地熱から太陽エネルギーに到るまで、凡そ原子力に匹敵し得るものがないとなれば、日本経済が更に発展するためには何としても必要最小限のエネルギーの確保が大前提であると思うが故に、私は原子力発電の推進が必要だということを路地説法して歩いたわけです。演説を終えて選挙事務所に戻ると、年配の幹部から、「あなたという人はわれわれを一生懸命働かせておいて、選挙に落ちるための演説をやって歩くとは何事ですか、原子力発電なんて冗談じゃありませんよ!」と強く言われました。こんなことが何度か繰り返されたわけですけれども、やはり自分の初一念を貫かない政治家は政治家とは言えないのでお許しを戴きたいということで、とうとうそのまま訴え続けたわけです。以来、ずっと原子力発電を推進するために多少なりとも努力してきたわけでございますが、今になれば皆さんがお気づきになる以上に原子力発電は大きく伸びて、国民の経済活動、或は家庭における文化生活といいましょうか、かなりの部分が原子力発電によって支えられているわけであります。このことは、別に川合(辰雄)前九州電力会長が前におられるから私が胡麻を擦っているわけではありませんで(笑)、歴史はまさにいろんな角度から証明をしてくれるわけであります。

そういう意味からいきますとどうも日本人というのは目先のことには非常に天才的な閃きと対応を見せるけれども、全てに場当たり的で、私流に言わせれば「一点集中刹那的」で、新しい問題が起きると他のことを全く省みなくなってしまう。例えば学校でいじめの問題が起きれば、いじめだけが教育の大事な課題であるかのように思い込んで、他のことを全部なげうってしまう傾向があります。しかし、これらの事々はすべて複合的にいろんな対策を講じて、将来に向かっての布石を進めていかなければいけないわけですから、そういう意味で私は今でも原子力発電の推進を訴え続けているわけでありまして、例えばこの九州電力は確か四五・九%だったと記憶致しますが、全国でも二番目に原子力発電の割合が多いわけです。第一位は関西電力で五一・五%で半分を超えているわけでありますし、われわれの東京電力でも四三・六%お世話になっている。どこの県もみんなこれらによって自分たちの経済活動、文化生活を賄っているのに、いざ自分の周辺に立地するとなれば柳眉を逆立てて反対する。こういった日本人のご都合主義は反省あって然るべきです。是非、皆さんのような指導的立場の方々に影響力を行使していただいて、新しい時代に相応しい意識改革を進めて戴きたいと。こんなふうに思うわけであります。

さて、私の二度目の選挙の時に消費税導入問題がありました。この時にも私は賛成の立場に立って辻説法をやったんですが、結果、見事に落っこちました。新聞報道や各種の調査では竹入(義勝)公明党委員長と私がトップ争いとの予想が多く、五人区ですからまさかまさか落ちると思いませんでした。たまたま私は四十八名の新人代議士の代表世話人などもやっていましたし、一生懸命政治活動をしたと自負するものがあったんですが、中小零細企業者の多い地元ですから、消費税の必要性を訴えるたびに票が減っていたらしくて、わずかな差で落選したわけです。しかし、どうでしょうか皆さん、今年は平成十二年度ですが、平成元年以降、今日までの十二年間で消費税収入はちょうど百兆円になるわけであります。

なぜ私が消費税の必要性を説いたかといえば、日本の国は他の先進国と比較して直接税に対する依存度が高過ぎる。直間比率を是正しないと、この国の景気が変動するたびに税収が左右するのでは将来に向かって大変危険である。特に、その当時から高齢化社会の到来が予測できたわけで、高齢化社会ということになれば、医療費、年金等、どんどん負担がかさむわけですから、たまたま不景気で税収が減ったからといって高齢者(六十五歳以上の医療費はそれ以下の四・八八倍かかる)に対する医療の質を落とすわけにはいかない。もう国は賄えませんから皆さんご勝手におやり下さいというわけにもまいりません。そこで、安定的収入となるのはむしろ消費税を始めとする間接税であって、私は「世界の先進国がそうであるように、どうしてもこの問題を避けて通るわけにはいきません。」こんな話を一生懸命に訴え、その結果、名誉の戦死を遂げたわけであります。

幸い半年で復帰が許されまして、その後はずっと国政の場で頑張ってきたわけですが、先だって、六月の選挙は、任期中、私は農林水産大臣や衆議院予算委員長を務めた関係で地元廻りが充分できず、前年の区長選のしこりや公明党の推薦を受けなかったことも手伝って、創価学会組織が相手側になだれを打った結果、わずかな差で苦杯をなめたというのが今の私の置かれている状況であります。しかし、政治家は如何なる問題もきちんと説明のできる行動に徹しなければいけないので、私は今回の落選を大変無念とは思いつつも、決して恥ずかしいとは思っておらないというのが私の今の心境であります。

さて、皆さんご記憶にあるかと思いますが、私は守旧派などという汚名を着せられながら、最後まで新制度の誤りを種々指摘して反対したんですが力及びませんでした。「政治改革」と称して平成八年の選挙から「小選挙区比例代表並立制」が導入されました。しかし、この制度が続くとこの国の将来を本当に危うくします。なぜならば、政治家自身があらゆる人の支持を得なければいけないというのが小選挙区制。第一位しか当選ができないということになると結果的にはおいしい話しかなくなる。有権者の気持ちに逆らう話は一切避ける。その結果どうなるか、判り易い例が今の財政赤字です。そこに表〈※1〉が出ておりますけれども、平成十二年度税収見込みは五十二兆四千億円。しかし、当初予算は八十五兆円で近々補正で四兆八千億円が上乗せされるということです。改めて申すまでもなく、健全財政は「入るを計って、出るを制する。」のが基本ですが、現状は「入るを計れず、出るを制せず。」で、いうならば、五十万円の稼ぎの人が九十万円の生活をしているわけですから、赤字が増えるのは当たり前です。今日までにおよそ六百四十兆円もの赤字が累積されているということでありまして、今こそ将来を見据えた確かな政治の舵取りをしていかなければ大変なことになります。特に小選挙区制というのは税制改革を始め、行政改革、農政改革、或は福祉の改革等々、国民の痛みを伴う諸制度の改革に不向きな制度であると申し上げても間違いないわけです。私は是非、皆様にこのことをご理解戴きたいと思うのであります。
 
 

(※1)一般会計実績及び国債依存度
年 度 一般会計歳出 税収入 税外収入 収入合計 国債発行 国債依存度
昭和50 20.9兆円 13.8兆円 1.8兆円 15.6兆円 5.3兆円 25.3%
55 43.4 26.9 2.3 29.2 14.2 32.6
60 53.0 38.2 2.5 40.7 12.3 23.2
平成 元 65.9 54.9 4.4 59.3 6.6 10.1
69.3 60.1 1.9 62.0 7.3 10.6
70.5 59.8 4.0 63.8 6.7 9.5
70.5 54.4 6.6 61.0 9.5 13.5
75.1 54.1 4.8 58.9 16.2 21.5
73.6 51.0 6.1 57.1 16.5 22.4
75.9 51.9 2.8 54.7 21.2 28.0
78.8 52.1 5.0 57.1 21.7 27.6
78.5 53.9 6.1 60.0 18.5 23.5
10 84.4 49.4 1.0 50.4 34.0 40.3
11 89.0 47.2 4.3 51.5 37.5 42.1
12
(当初)
85.0 48.7 3.7 52.4 32.6 38.4
12
(補正後)
89.8 49.9 5.3 55.2 34.6 38.5
※平成元年〜12年(補正後)の国債発行総額=262.1兆円
※平成8年以降5年間の国債発行総額=146.3兆円
(平成12年11月現在)
 
 
さて、少しく前置きが長くなりましたが、本題に入ります。幕末以降のわが国の歴史を繙きますと、だいたい四十年を周期に大きな転換期を迎えていると言われます。一番最初は一八六五年(慶応元年)。この年は外国の圧力に屈して、徳川幕府がとうとう三百年の鎖国政策を解いて開国宣言をした年でありまして、慶応三年が明治元年にあたるはずですから、まさに日本が新たな国造りに向かって門戸を開放したという転換期であります。ただ、この明治維新を実現した先輩たちは、まず自分の一身をなげうって国家のために殉じた。その尊い犠牲の上に立って、当時あれだけ欧米列強との間に大きく差をつけられていた日本が、ちょんまげ、羽織袴を捨てて、西洋の文明を大胆に導入した。特筆すべきは、国家創造の過程で培われた日本人の精神文化や歴史や伝統を大切に守りつつ西洋の文明に学んだことです。これは今考えて実に素晴らしいことだと思うし、年齢からいくと私たちの半分近いような人たちが先頭に立ったということを含めて、昔の人は大したものだなとつくづく感じる次第です。

その四十年後の一九〇五年(明治三十八年)は日露戦争の終結宣言をした年ですが、日露の厳しい戦いに勝った日本は大変に自信を強め、国民もまた将来に向かっての抱負を大きく持ちました。そして世界の先進国の仲間入りのきっかけを掴んだのがこの年であります。その後は、日本があんまり順調に伸びていくものですから、欧米列強から有形無形の圧力がかかり、これに反発して軍部主導のもとに、とうとう第二次世界大戦に突入する不幸に繋がったわけです。

三度目の転換期、一九四五年(昭和二十年)は日本が初めて大きな戦いに敗れ、それこそ焦土の中から復興に立ち上がったどん底の時代でした。問題は、明治維新に対して、焼跡から欧米先進国に追いつき追い越す経済発展を遂げた戦後を仮に昭和維新と名づけるとするならば、明治維新と昭和維新の決定的な違いは、前者が日本人の秀れた精神性を堅持しつつ西洋の文明を導入したのに対し、後者は敗戦の衝撃に周章狼狽し、今まで民族何千年(今年は紀元二千六百六十年)の歴史の中に培った、或はその前から営々として築いてきた日本人の精神文化、歴史とか伝統等、日本民族の知恵も美徳もすべてなげうって、言い換えれば、難破船さながらに積み荷はおろか、海図も羅針盤もすべてを捨てて、過去にあったものはすべて悪であると決めつけ、新たな航海に船出したということです。

終戦の翌年、昭和二十一年の三月にアメリカから占領政策の基本をなす、教育方針策定のための一団が日本にやってきて、これらにサービスせよとの指令が出て、その年の夏に「教育刷新委員会」というのができました。GHQに協力したわけであります。もうその当時は日本人の誇りも何もない。ただいたずらに占領軍に迎合することをもって処世術と心得たのでしょうか、かなりの意味で日本側は占領軍のいいなりになってしまった。私に言わしむるならば「和魂洋才」、すなわち日本人の魂をしっかり持って、洋の才能に学んだ明治維新に対して、あえて自分たちの魂も過去の貴い蓄積も全部なげうってしまったという意味では「捨魂洋才」の基盤に立って新たなスタートを切ったわけであります。基本方針策定の際には、天野貞祐氏(旧制一高の校長で後に文部大臣)と務台理作氏(教育大学学長)との間に大激論が戦わされました。要するに「人格の完成などという文部省の古い考えは捨てて個人の尊厳をもっと前面に押し出すべきである。」という務台氏の発言に対して、「個人の尊重ばかりを要求するという教育のあり方は間違いである。」という天野氏との対立です。そしてその務台氏の考えに賛成したのが当時、社会党代議士で、これも後に文部大臣を務めた森戸辰男氏。また一方では仏教学者が天野氏の意見を擁護する立場に立たれた。しかし、何と言っても当時、GHQを背景にしているものですから、結論的には個人の尊重というものが大きく打ち出されて、その結果の所産が今日の、国家もない。社会もない。時には家庭も、家族もない。ただ自分さえよければいいという極端に自己中心的な風潮を生み出したと言っても決して過言ではないわけであります。
また、その一方で昭和二十年以降、日本の国は経済だけは実に見事なまでに発展致しました。「二度と飢えることは嫌である」という強い願いをもとに経済最優先で欧米列強に追いつき追い越せの高い目標を掲げ、懸命に頑張り抜いた結果、ついに昭和四十二年にGDPでイギリス、フランス、ドイツ三国に追いつき一気に追い越したということでありまして、日本はまさに世界に冠たる経済大国と胸を張ってもおかしくなくなったわけです。

昭和六十年が四度目の節目にあたりますが、昭和六十二年には遂に一人当たりGDPで米国に追いつきそして追い越しました。いうならば一人当たりでは世界一ということになったわけです。平成十年に米国に抜かれましたが、十一年には再び首位に返り咲き今日に及んでいます。いずれにせよ、いかに日本の伸びが物凄かったかということが理解できるわけであります。そういう意味では日本の国は、農業国にするという占領政策を大きく転換せしめた昭和二十五年の朝鮮動乱をはじめ、アジア諸国の相次ぐ戦乱が皮肉にも工業国家日本の新しい出発を促す幸運も手伝って日本は戦後のあの食べるに食なく、働くに職なしの厳しい時代を乗り越えて、昭和三十五年頃から本格的高度成長軌道に乗って、あれよあれよという間にまさに世界の大国になり、現在でも少し落ち込んだといっても、ざっと世界の六・六分の一ぐらいは日本の国が一国でつくり出しているという大国なのであります。問題は、では日本の国土がそれに見合って大きく広がったのか。そうではない。相変わらず狭い島国であって、しかもその七割は急峻な山に覆われていて、資源はまさにゼロなのであります。しかし、人間というのは健康に恵まれると自分の健康を過信致しますが、それと同格、ちょうど日本経済がこれだけ豊かになった中に、日本人は本当に自分たちの原点を忘れかねない順境病に陥っていることは事実でありまして、そういう点では私は非常に残念に思うのは、要するに非常に大きな堕落をし始めているということを認めざるを得ないわけであります。

経済が繁栄することは非常に喜ばしいことですが、反面、日本人は感謝の心を忘れ、非常に贅沢になりました。物を大切にしなくなりました。食べ物を無駄にするようにもなりました。例えば宴会などの後を見ますと、飲み残し、食べ残しが山になっています。渡辺美智雄先生がお元気な頃に「銀座じゃネズミが糖尿病で苦しんでいる。」という話をよくされました。これは例え話ですが、少なくとも飽食時代に入って、自分たちの拠って立つ原点を忘れてしまった。しかし、われわれの拠って立つ原点は、無資源な狭い国土なんです。鉱物資源の自給率を見ても、鉄鉱石、ニッケル、ボーキサイトはゼロ。石油にしても〇・三%、石炭だって二・六%です。炭鉱節は残っていても、石炭はほとんどないに等しい。要はないない尽くしの無資源国であります。

私は平成九年から農林水産大臣を務めましたが、「OECD農業大臣会議」に出席したら、世界の農業大国の大臣たちが次々と立って、世界は今やボーダーレス時代、お互いに門戸を開放して、国際分業でいこう。日本のような農業小国はもう農業生産をやめたらどうだと大変な圧力をかけ、多数決でそれを強引に持っていこうとするので、大激論を交わしました。私はそんなばかな提案は受け入れられない。現にあなた方は一九七二、七三年の凶作の時にどういう対応をしたのか。大豆の輸出を取り止め、小麦などもあれだけの輸出制限をしてわれわれを苦しめたじゃないか。日本には豆腐という秀れた食品があるけれども、あの時は大豆が輸入できないため、三〜四ヶ月に亘って豆腐が店頭から消え、出てきたら値段は四倍近かった。こういうことをあなた方はかつてやっておいて、今後はやらないという保証はどこにもない。日本の国には古くから「人には添うてみよ、馬には乗ってみよ」という格言があるけれども、相手の立場に立って物を考えないと、こういう国際会議は成り立たない。と強行に突っ張ったところ、それまで息をひそめていた農業小国のオーストリアとか韓国とかが次々と立ち上がって「日本代表の意見を全面的に支持する。」と発言したので、形勢が逆転し、結果的にはそれぞれの国の最低限度の食糧自給率は認めるということで一件落着しました。

しかし、日本の国にどれだけの自給率があるのか。皆さんは世界で一番新鮮でおいしいものを食べていらっしゃるわけですが、カロリー換算で言いますと約四〇%しか自前のものはありません。ついでながら今、世界は全部穀物で自給率を判断しますが、日本は二七%しかありません。食糧自給率が低いことは既にご承知と思いますが、かつて宇野宗佑先生とご一緒に講演に出かけた際、無資源国日本をどのように説明したらよいかという話になり、車中でいろいろ話をした結果、天ぷらそばに行き着きました。例えば現在値で言いますと、皆さんがお食べになる天ぷらそばのエビは自給率六%で、インドネシア、インド、ベトナム等から大半を輸入しています。衣は小麦粉と卵ですが、小麦は九%。卵にしても日本のニワトリが産んでるように思いますが、そのエサであるトウモロコシは一〇〇%輸入で、エサがなければ卵を産まないわけですから、全くの輸入品であるといえます。これを揚げる油の原料は大豆と菜種ですが、大豆は三%、菜種は〇%です。それを熱するエネルギーはほとんどが輸入品です。味付けの塩が一五%、そして砂糖は三一%、肝腎なそば粉についてですが、「日本そば」というのは実は真っ赤な嘘でありまして、日本製のそば粉は一五%しかありません。皆さん日本そばと言えば信州のそばだと、こうお考えになるかも知れません。或は岐阜や福島あたりに良いそば粉があるそうだと、これは全くレアなケースでありまして、実は七二%は中国のそば粉でありますから、「中華そば」というなら日本そばを「中国そば」と言うぐらいの礼儀があってもおかしくない。その他、アメリカとカナダが八%、七%で「日本そば」が成り立っている。これに練り合わせる小麦粉はさっき申した通り九%です。言うならば日本の自前のものは何があるかといえば、水とかつお節と調理人が国産でありまして、それ以外はみんないわば輸入に頼っている。

非常にわかりやすい一つの身近な例でありますけれども、こういう事々を皆さんはいろんな角度でお聞きになる機会があるでしょうが、今の若い人たちは全く知らないんで、飽食時代が当たり前と思い込んでいる。われわれが子供の頃、バナナを戴くとまず名前を書いて、仏壇に飾っておいて、何日かは匂いだけ嗅いで、黒ずむと漸く食べたものですが、今の若い人たちはバナナなんかまるっきり見向きもしない。どうも私にはそういう恵まれ過ぎた環境に浸りきっている日本人の先行きが心配に思えてならないわけであります。経済の発展は歓迎すべきですが、その反面、日本人に贅沢を教え、人の心や物の大切さを知らない国民に堕落せしめ、有事に対する備えが極めていい加減であることもまた事実であります。一方、文明の発達は日本人を怠惰、横着にし、その結果、心身ともに脆弱な国民へと陥れているように思えてなりません。私たちが子供の頃は、古老から「私ら子供の頃は、二里の道を歩いて学校へ通ったんだよ。」こんな話がありましたけれども、今どきは学区制がありますから、二里どころか一キロもない近くに学校があるわけで、しかも家の周辺には必ず交通機関があって、少なくとも一歩外へ出れば交通機関が発達していて、非常に簡便に目的地に行くことができます。そして自分の家の中を見てみるならば、テレビだってコタツに入ったままリモートコントローラーでボタンを押せば自由にチャンネルを変えられる。ごはんもお湯もお風呂もスイッチを入れておけば全部できてしまう。まさに全て文明が横溢している。しかし、その恩恵も慣れてしまうとすべて当たり前になってしまう。室内の冷暖房も完備している。どうでしょうか皆さん、最近の子供さん、暑さ寒さに非常に弱くなっているのです。なぜか。要するに、温度調節を全部自動的にやってくれるわけですから、汗を出して熱を発散したり、或は何か厚着をして自分の体温を保つなんていうことをしなくていいわけです。ということは人間に尻尾がなくなったように、あんまり必要がないから汗を出す穴が少なくなっちゃった。だから皆さんに比べて今の若い人が意外に弱いというのは、そういう面もあるわけでありまして、どうも文明が人間を侵し始めているということはいっぱいあるわけです。歩くことも少なくなった。最近、どうでしょうか皆さん、電車の中で若い人がグターッと座っているのをご覧になりませんか。非常に不愉快なのは、二人分の席に大股開いて漫画の本を読んで、前にお年寄りが立っておられても見向きもしない。このように身も心も本当に緩みきった若者が育つ今の環境は将来に向かって決して好ましいものではないと私は感ずるわけであります。一たびビルに入ればエレベーター、エスカレーターがある。階段を歩いて上ることもないわけです。そして、学校生活の間に山歩きやマラソンなどの経験を持たない人も少なくない。実は学生時代、私は野球の選手でした。後輩たちからコーチに来てくれというから暇を見つけて出かけます。すると、ボケッと立っているのがいるから、「グラウンドをもう少し走れ!」というと「いや、私はここを五回廻ったのでもう限界です。」と。自分の可能性をトコトン追及する意欲がない。私より首一つでかいのが本当にトンボのとまるような球を放って平気でいる。そんな無気力さで本当に日本の将来を担えるのかと。老婆心ながら感じざるを得ないのです。日本の現状を考えますと、経済は順調に伸び、環境が良くなった反面、失ったものが極めて大きいということにわれわれは行き着くわけであります。終戦直後、日本に神風が吹いた。すなわち、昭和二十五年に起きた朝鮮動乱を契機として、ベトナム、或はカンボジア、ラオス、相次ぐ他国の戦乱を成長の糧にして、自信も誇りも失い、骨抜きになった、農業国家になるはずの日本が工業国としてこんな大きな成長発展を遂げた。これは喜ぶべきことだけれども、この原点をしっかりと踏まえて、新しい前進に向かう姿勢が日本人の中になくなった時に私は日本の将来に赤信号がともるようになるのだろうと。こう思えてならないわけでございます。

さて、そういう意味から致しますと、今、わが国では「教育改革」についていろいろ言われておりますけれども、中でも今一番問題なのは何かを洗い出し、大胆にその欠陥を改革する時が来ているように思うのです。一つ例をご覧戴きます。この表〈※2〉は実は文部省が平成十一年に七つの項目について親の躾を調べた数字であります。対象になったのは日本、アメリカ、イギリス、ドイツ、韓国の五カ国の小学校五年生と中学二年生です。この表を見れば親の教育、家庭の躾が全くなってないことに気がつくわけであります。これでも「日本の将来は心配ない」と断言できる方がいたらお目にかかりたい。人間が人間らしく生きるための教育の原点、親の躾が全くなっていないのです。教師としての誇りも自覚も持たない人がいることも事実です。なるほど、先生にしても最近は大分お粗末になりました。われわれの時みたいに自分の大切な時間を割いて遅くまで残って勉強嫌いの生徒を何とかなだめすかして説得して、時にはご自分が本当に涙流して生徒を叩きながら指導するなんて、そんな有り難い先生は薬にしたくてもいなくなった。だから、あんまり尊敬されないかも知れません。しかし、教師は教師です。尊敬して然るべきです。
 
 

※2〉『子供の体験活動等に関する国際比較調査』(抜粋)
文部省生涯学習局
「あなたは両親から次のようなことをよく言われていますか?」
(単位=%) 1位 2位 3位 4位 5位
きちんと挨拶をしなさい。
(父 母)
アメリカ
38 40
イギリス
30  35
韓 国
24  28
ドイツ
15 17
日 本
9 14
先生の言うことをよく聞く。 アメリカ
56 62
イギリス
53 58
韓 国
47 56
ドイツ
30 34
日 本
16 29
友達と仲良くしなさい。 アメリカ
54 60
イギリス
33 44
ドイツ
32 41
韓 国
33 37
日 本
7 10
弱い者いじめはいけません。 イギリス
34 36
アメリカ
32 35
韓 国
20 22
ドイツ
13 18
日 本
9 11
他人に迷惑をかけない。 イギリス
44 48
アメリカ
33 37
韓 国
32 34
ドイツ
21 27
日 本
16 25
嘘をつくのは悪いことです。 アメリカ
47 50
イギリス
44 49
韓 国
41 42
ドイツ
28 32
日 本
11 16
物を大切にしなさい。 イギリス
51 63
アメリカ
47 53
韓 国
37 48
ドイツ
34 41
日 本
24 31
■調査時期:平成11年10月〜12月  ■調査対象:小学校5年生、中学校2年生
 
 
こういう躾の手抜きがどういう結果を生むのか。ここにございます。最近深刻さを増しつつある少子化問題。今、日本の国は(合計特殊出生率が)一・三四に落ちました。東京都は残念ながら一・〇四に落ちまして、特に二十三区内は〇・九八。二人がかりで一人の子供すら作らないようになりました。子供が少なくなると結局は過保護、過保護であんまり大事にし過ぎるから子供は脆弱になる。感謝も生まれない。過干渉も子供にとってはかえって迷惑で、退屈でしょうがない。そんなことから親からも孤立して、部屋に鍵をかけたがるような子供が増えてきた。不登校なども多分に子供の居直り。弱腰な親の足元を見ている。一人っ子じゃどうしても親が弱い。さて皆さん、この表〈※3〉をご覧下さい。総務庁が先進十一カ国の十八歳から二十四歳を対象に調査した結果です。中に「もし君の親が生活に行き詰まったらあなたはどうするか」という質問があります。忙しくてとても構っていられないというわれわれの育った時代とは違って、これだけ親が子供の面倒に明け暮れているのに「親が行き詰まった時、何としても面倒をみる」と答えている子供はわずか二五・四%しかいない。十一カ国中、下から三番目です。そして「あなたは国のために役に立つことをしたいですか」という質問に対しても、「したいと思う」は四九・三%だけ。下から二番目です。続いて政治に関してですが「政治に関心があるかないか」、「ある」というのは三七・二%に過ぎない。私たち政治家が一番困るのは何と言っても政治に対する無関心。なるほど、経済は今、大変な状況にありますけれども、皆さんが明日食べることに心配を持っているかというと、そうでない。皆さんかなり持つものは持っておられる。一般の主婦の方に「明日食べるコメが心配ですか」と伺ってみても、それだけはみんな「NO」とはっきり言います。問題はどんな政治家を選ぼうと、どんな政党を選ぼうと、自分たちの生活にあまり関係ないと安直に考えておられる人が少なくないことです。テレビの煽動に乗せられて、いわゆる無党派層というその時の風だけで動く人たちが政治の中枢を占めるようになるとまともな政治は育ちません。いわんや都会は(この福岡も同様)見事に発展していますから、道路も橋も交通機関も一通り全部できちゃうと、どんな政治家でもいいやと。思いつきで選ぶようになる。仮にきれいな若い女性候補がポッと出てきたら、能力も実績も関係なく、みんなその人に食われてしまいかねない。これではまともな政治家は育ちません。「政治に関心がない」という六一・五%の人たち、政治の恩恵だけは存分に受けながら、政治家や政党選びにあまり真剣でない。そんな風潮が蔓延したら国家の将来が危うくなります。
 
 

〈※3〉『第6回世界青年意識調査』(抜粋) 総務庁青少年対策本部
(単位=%)
自国との関係 「自国の為に役立つことをしたい」
1位 2位 3位 4位 5位 6位
タ イ
98.7%
フィリピン
96.9%
ブラジル
94.1%
韓 国
82.9%
スウェーデン
70.8%
イギリス
66.5%
7位 8位 9位 10位 11位
ロシア
66.1%
フランス
61.8%
アメリカ
53.3%
日 本
49.3%
ドイツ
28.3%
自国との関係「自国人であることに誇りを持っている」
1位 2位 3位 4位 5位 6位
タ イ
99.8%
フィリピン
99.4%
ブラジル
91.9%
アメリカ
91.7%
スウェーデン
86.2%
イギリス
85.5%
7位 8位 9位 10位 11位
韓国
84.2%
フランス
77.4%
日本
77.1%
ロシア
68.4%
ドイツ
52.1%
政治に対する関心度「政治に関心がある」
1位 2位 3位 4位 5位 6位
タ イ
77.0%
フィリピン
74.5%
韓 国
71.2%
アメリカ
59.5%
ロシア
45.7%
フランス
41.4%
7位 8位 9位 10位 11位
ドイツ
40.5%
日 本
37.2%
イギリス
35.7%
ブラジル
32.0%
スウェーデン
31.8%
年老いた親の扶養「どんなことをしてでも親を養う」
1位 2位 3位 4位 5位 6位
タ イ
77.0%
ブラジル
71.8%
フィリピン
69.7%
アメリカ
66.0%
フランス
56.8%
ロシア
56.5%
7位 8位 9位 10位 11位
イギリス
50.0%
韓 国
44.3%
日 本
25.4%
ドイツ
14.7%
スウェーデン
6.2%
社会への満足度「社会に満足している」
1位 2位 3位 4位 5位 6位
タ イ
76.0%
フィリピン
72.7%
スウェーデン
68.7%
アメリカ
67.8%
イギリス
63.4%
ブラジル
41.5%
7位 8位 9位 10位 11位
フランス
40.4%
ドイツ
40.0%
日 本
35.2%
韓 国
25.6%
ロシア
25.0%
ボランティア活動「ボランティア活動をしたことがある」
1位 2位 3位 4位 5位 6位
アメリカ
57.4%
フィリピン
51.9%
韓 国
49.2%
イギリス
48.5%
タ イ
45.2%
スウェーデン
43.0%
7位 8位 9位 10位 11位
ブラジル
41.5%
フランス
33.2%
ロシア
29.4%
日 本
24.9%
ドイツ
18.9%
地域社会への永住意識「住んでいたい」
1位 2位 3位 4位 5位 6位
フィリピン
70.7%
タ イ
62.1%
ドイツ
56.4%
ロシア
54.4%
ブラジル
52.2%
アメリカ
44.0%
7位 8位 9位 10位 11位
イギリス
42.5%
スウェーデン
39.9%
韓 国
39.4%
日 本
34.1%
フランス
20.6%
自然環境への関心度「環境を守る為に税金が高くなっても仕方ない」
1位 2位 3位 4位 5位 6位
韓 国
66.9%
フィリピン
66.0%
タ イ
65.6%
ブラジル
58.0%
アメリカ
46.3%
イギリス
45.4%
7位 8位 9位 10位 11位
スウェーデン
42.7%
日 本
35.8%
ロシア
25.5%
ドイツ
24.5%
フランス
14.2%
■調査時期:平成10年2月〜6月  ■調査対象:18〜24歳の男女  ■対象国:11カ国
 
 
今、改めて教育のあり方について考えますと、昔は親が子供に対して幼いうちからきちんとした躾をした。まさに「鉄は熱いうちに打て」で、これはむしろ幼児教育の理に適っていたわけであります。要するに、ゼロ歳児からの教育は非常に大切で、環境と躾で人間はどのようにでも変わる。性格も人間性も変わるということが研究の結果にはっきり出ているわけです。少子化でことさら子供が宝物化した。長寿社会の到来で若いおじいちゃん、おばあちゃんが増え、曽祖父母も稀でなくなり、結局、みんなで寄ってたかって数少ない子供を甘やかしている。それらの行き過ぎが知らず知らずに良い子供を悪い子供に仕向けているということもないわけではない。そして年齢に達すると幼稚園または保育園に預ける。「うちの子供にケガをさせたらいけませんよ。」と親から厳しく要求する。およそろくな躾もしていない、いわばデコボコの素焼きの人形を、今どきの聖職者の意識を持たない先生に預けて、どこまで本当に確かな教育ができるか。親の側に前向きの姿勢がなければ学校側の対応にも自ら限界ありというのが現実です。いずれにせよ、家庭教育のひずみが学校教育に大きな影響をもたらしていることは否定できない事実であります。
私が文部大臣就任時に文部省が抱えていた課題の一つにいじめの問題がありました。いじめが原因で自殺者が出ると担当の局長がまるで自分がとんでもない悪いことをしでかしたかのように萎れきって報告に来るのです。そこで私は二つの提案をしました。
一つは、私がテレビや新聞を通じて全国の家庭にきちんと呼びかけをする。そして各家庭で子供にしっかりした躾をしていただくようお願いする。いじめが起きるとその都度、「学校は何やってるんだ。文部省の怠慢だ。と皆さんおっしゃるけれども、それは誤りである。」ということを私が言うよ、と言ったら、「それは何としてもお止め下さい。そんなことしたら抗議が殺到して大臣はお仕事ができなくなってしまいます。」と言うのです。「何を言ってるんだ。そんなおっかなびっくりだからこういう話がどんどんエスカレートするんだ。私はこのことは絶対にやらせてもらう。」と突っぱねました。
もう一つ提案したのは、「全国のPTAの幹部に会わせてくれ。また、PTAの大会等に私を出させてくれ。」と言ったんです。これもまたとんでもない話で、「不測の事態を招来したら大変です。」と反対されました。しかし、私は何も自説にこだわったわけじゃないのですが、是非やらせてもらおうというので、彼らを説得しましてPTA代表との対談を実現し、更にPTAの県連大会等にも出席して直接幹部に訴えました。テレビの方もたまたま私に対するインタビューや、或は著名な教育専門家その他とのテレビ対談が相次いだものですから、あえて私から発言を求めて、「最近、いじめの問題が起きるとすぐ学校、文部省の悪口を言われるが、この原因は学校でも文部省でもありません。一番の元凶は家庭です。」とはっきり言いました。なぜそれが言えるのか。実は私たちの子供時代にもいじめはありました。しかし、私たちの時には友だちを死に追いやるような、そんなひどいものはなかった。そしていじめっ子のちょっと目に余るのがいると一人じゃ勝てない場合、何人かが力を合わせてたかってそれをたしなめたこともあった。見て見ぬふりをするということは絶対になかったし、みんなそれぞれどの家庭でも「弱い者をいじめることは恥ずかしいことだ。」「他人様に迷惑をかけてはいけない。」大なり小なりこういう躾があったから、みんなの良心が働いて何となくいじめ等がエスカレートしにくい環境があった。今はそうでなくて、自分に災難が及ばない限り全く関わり合わないということから、私はあえてテレビでそのことを言ったのです。それで、もしそういう子供さんがいたら、その家庭も含めて非難されるべきである。もう一回、子供さんをお持ちの方はご自分の子供さんを見て欲しいということを申したんです。
更に私は全国PTAの幹部の計らいで、PTAの大会に出向いて話をしました。何でPTAに行くのを反対されたかというと、「PTA幹部の中にもいろんな思想・信条の人がいますから、どんな落とし穴があるかわかりません。万が一にも大臣に迷惑がかかったら…。」ということなんです。「落とし穴が怖くて政治家が務まるか。私を信用しなさい。」と抑えて、その後も私はPTAの幹部とも積極的に会いましたし、PTAの大会にもどんどん出ました。そこで私はいろんな話をさせてもらいましたが、その中で、「今、いじめの問題が起きています。そこで皆さんにお考えいただきたい。いじめの心理というのは自分の気に入らないものを力づくで排除するという極めてエゴイスティックな考え方です。今現在、私たちはお互い元気ですが、しかし、何十年か先、自分の体がままならなくならないという保証はない。いわゆる粗大ゴミになりかねない。そんな時に子や孫が本当にあなた方のお陰で今日があるという感謝と、人の道として、子として孫として、おじいちゃん、おばあちゃんに一生懸命仕える気持ちがあるかないか。その基本は今のうちに躾なかったら絶対無理ですよ。そこでこの会場の奥さん方に申し上げたい。『うちの子供に限って』と胸張る前にもう一度、ご自分の子供にどれだけの躾をしてきたかをよく反芻して、親に対する感謝、お陰さまで今日があるという気持ちをどれだけ身につけているかそっと調べてごらんなさい。」と申しました。その際、私は一つの提案として、父親と母親が互いになじり合うなんてことを絶対に子供の前でやるべきでない。母親は時に触れ、父親がいかに立派な人であるかを子供に教えるべきである。同様に父親は母親に対する感謝を子供に伝えるべきです。父親も母親も互いにそっぽを向き合っていたら、子はまともに育ちませんよ。こんな話をしました。
そこで、私はPTAの種々な会合に出席するうちにいつの間にかPTA幹部の皆さんと仲良くなり、いろんなご意見を伺えるようになりました。ここの数字〈※4〉はいじめの数字です。実は私が担当しましたのは平成七年からでございます。平成五年まではこういう低い数字で推移していました。この黒いのが小学校、赤いのが中学校、青いのが高校です。ところが、この数字がずっと低いのに何でここで飛び上がったのか。これは、今までの調査は正確とは言い難いと、私がより厳密な調査を指示したからです。要は学校は自分の校内で起きた事件を校長さんやなんかの成績が下がるものだから、みんな隠したがる。自分たちの中では頭を痛めつつも、表に出そうとしなかった。また、自治体が中央に向かって同じことをやっている。こんないい加減な数字を基にいじめ対策ができるか。もう一回調べ直せと。基本から全部調べて、万が一隠したことについては厳罰に処すると通知しました。その結果、中学校では一万二千八百十七件が二万六千八百二十八にポーンと跳ね上がったのです。高校だけはそう極端ではありませんでしたが、小学校も六千三百九十から二万五千二百九十五とドーンと上がりました。教育の現場も腐っているのです。隠していればそれでことが済むという、まさにおかしなサラリーマン根性です。
ところが、ここで上がって、本格的に対策を始めました。PTAにもどんどん呼びかけをして、「人をいじめるということ、人を死に追いやるなんて絶対許されないことだ。」ということを徹底したのです。どうでしょうか、どんどん下がり始め、年間二割ぐらいずつ減って、いじめの問題はもう先行きかなり自信が持てます。と、こういうことになりました。
問題は、今度は不登校というやつが出てきた。これが不登校です〈※5〉。このグラフ用紙の形の関係で少し横ばい状態に見えますけれども、数字からいきますと平成三年に比べて、平成十年時点で約倍近い十万人を超える生徒が学校へ行かないのです。なんで行かないのか。学校は面白くない。学校は気に入らない。要するに自分の勝手にやりたいということなのです。
 
 

〈※4〉いじめの発生件数の推移―文部省初等中等教育局(抜粋)  <単位:件>
H元 H2 H3 H4 H5 H6 H7 H8 H9 H10 H11
小学校 11,350 9,035 7,718 7,300 6,390 25,295 26,614 21,733 16,294 12,858 9,462
中学校 15,215 13,121 11,922 13,632 12,817 26,828 29,069 25,862 23,234 20,801 19,383
高 校 2,523 2,152 2,422 2,326 2,391 4,253 4,184 3,771 3,103 2,576 2,391
合 計 29,088 24,308 22,062 23,258 21,598 56,601 60,096 51,544 42,790 36,396 31,396
 
〈※5〉不登校児童生徒数の推移―文部省初等中等教育局  <単位:人>
H3 H4 H5 H6 H7 H8 H9 H10 H11
小学校 12,645 13,710 14,769 15,786 16,569 19,498 20,765 26,017 26,044
中学校 54,172 58,421 60,039 61,663 65,022 74,853 84,701 101,675 104,164
合 計 66,817 72,131 74,808 77,449 81,591 94,531 105,466 127,692 130,208
 
 
しかし、これは何も子供たちだけが悪いのではなくて、大人の中にもそういう考えの人がいます。例えばついこの間の予算委員会で、菅直人民主党幹事長が私もちょっと耳を疑う質疑をやりました。これは私は政党のために言うのではありません。言葉を歪めると彼に対して失礼ですから、予算委員会基本的質疑の議事録を簡単に読ませていただきます。各党の代表クラスの人が質問に立つわけですが、そこで彼はこう言っています。
「総理、義務教育という言葉がごく普通に使われております。この義務というのは誰が何に対してどういう義務を負っていると理解されていますか?」、この質問に対して森(喜朗)総理は「義務教育は、わかりやすく言えば子供をきちんと勉強させなさい。学校にやりなさいということを親権者に対してこれを規定している。義務化させているということだと思いますし、それから学校の設置義務者に対して、つまり小・中学校であれば市町村が設置者でありますから、設置者に対して義務教育の諸学校を整備しなさいということを義務化していると、こういうふうに考えます。」と森総理は答えている。さあ、ここからなのです。菅君は「それでいいんですね本当に。私はちょっと違うと思うのですよ。憲法二十六条には『すべて国民は法律の定めるところにより、その能力に応じて等しく教育を受ける権利を有する』とまず書いてあります。そして二番目に『すべて国民は法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負う。義務教育はこれを無償とする』と書いてあります。問題はここなのですね、いいですか。『保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負う』と書いてあるのです。学校ということは一つもないのですよ。今、総理のお答えの中では、親が子供に勉強をさせる。学校にやることが義務だと言われましたが、少なくとも憲法には学校ということはありません。
そこで、ここに学校教育法の二十二条に今度は『就学させる義務を負う』、子女が何歳に達した時にこれを小学校うんぬんに就学させる義務を負うという条項があります。つまり何を申し上げたいかと言いますと、私は学校という施設、或は学校というシステムに子供をやるのが親の義務、裏返して言えば、子供にとっては行くのが義務になっている。本当にそれでいいのでしょうか。
ちょっと話が飛ぶかも知れませんが、予備校というものがあります。予備校に例えば高校を卒業して大学受験に失敗した人が行くのが義務かと言ったら、誰も義務とは言いません。家で勉強してもいいし、或は別のところで勉強してもいいけれども、いいと思えば予備校に行けばいい。ですから義務教育という言葉を学校に行くのが義務だ。だから子供が学校に来なくなると親が呼びつけられて『なんで子供を学校にやらないのだ。』、その裏返しとして子供に対して『なぜおまえは学校にこないのだ。』つまり学校という施設とシステムに来るのが子供の義務だ。私はそこに義務教育の義務の根本的な認識の誤りがある。」と。
こういうことを言っているのですね。これは一党の幹事長が言う言葉なのだろうか。私にはちょっと納得できないわけであります。要はこういう事々をもし正当化していったら学校なんか本当に必要なくなるわけであります。学校が必要なくなるということは果たして子供にとって幸せなのだろうかどうか。私はそのことをその次に申し上げたいのであります。
まず私は学校に行って非常に良いと思うことは読み書き、或は計算、自分一人では飽きてしまうことも、みんなでやっていれば、机に座って嫌でもその時間内に知らず知らずのうちに身につけた教育というのは結構あるものです。初めからたったひとりで気ままにったっていろいろ知識欲もあるし、遊びたい盛りですから、そう子供には続きません。やっぱり私は学校という施設に集まってみんなで一緒に学ぶ集団教育の中に知識を吸収し、友情を育むことはかなり大事な教育的要素だと思うのです。自宅であろうと図書館であろうと山小屋であろうと子供がたった一人で勉強することが人間形成上、好ましいことかどうか、大学以上、いわば大人ならともかく、知育・徳育・体育バランスのとれた教育を身につけるとなれば、やっぱり同年輩の友だちと共にあって切磋琢磨する方が遙に健全です。それから同時に、人間としての心得、いわば倫理を学ぶ場合も、たった一人で小言を言われたり、教えを諭されても、もともと道徳なんていうものは楽しいものではない。しかし、あるべき諭というのはみんなが一緒に学んだ時、みんなで覚えた時、そして自分だけが後れをとっちゃまずいと思った時に身につく面も少なくないと思うのです。今一つ皆でやった方が効果が上がる勉強に体育があります。最近は懸垂が一回もできない子がいます。鉄棒にぶら下がって、自分の体が持ち上がらない。有事の際には死ぬしかない。このように非力な子でも友だちと皆でやってるうちにできるようになる。それから数多くの先生から教えを受ける。いろいろな友人から刺激を受ける。私は文部大臣に決まった時、内心一番適任者だと思ったのは、優等生の経験しかない人よりは私のように悪ガキで学校で鳴らし、劣等性の経験も持っている男の方がいろんなレベルの人の心情が理解できていいのではないかと率直にそう思いました。宿題をやっていかないで、そっと部屋の隅にいたこともあるし、未成年のくせに飲酒、喫煙等々種々やりました。だから、悪童の心理もかなり理解できる。初めからお前は紳士だ、お前は優秀だ、お前は成績一番だとやられている人間ぐらいつまらないものはない。期待に押しつぶされて伸び損なっている人がなんと多いことか。しかし、私の種々な体験も学校へ通学したからできたのであって、自分一人だったら勉強の嫌いだった時期に私は挫折してしまったかも知れません。いずれにせよ、誰でも子供のうちというのはいろんな挫折感を味わったり、或は脇道に逸れかかったりする時期があるわけです。これを守るのに自分一人で家に閉じこもっていたら矯正されない。ますます母親の過ぎた干渉の中で人間が歪んでいってしまう。ここはやはり、集団の中でみんなで仲良く遊んだり、勉強したりする中で、人間というのは育っていく部分が非常に大きいと思うわけです。交友関係の拡がりというのもまた、学校で学ぶことの大きな利点だろうと思います。それから、この中にも大変な読書家がおられると存じますが、全部の本を一人で読むことは不可能であります。お互いにこれだけ優れた方々が交流する中で「あの本読んだ?」「あの本の○○の部分が面白いよ」あの映画、あの芝居、あの音楽会知ってるか?こんな意見の交流が自分の生活の中に効率の良い前進をもたらしてくれるのだと思いますが、学校はその面で素晴らしい交流の場であると思います。かつて、私のところに千葉大学の学長他三名の教育の専門家が陳情に見えられた際、「これからは、まず四十人学級、そしてできるだけ早い機会に三十人学級さらには、二十人へと理想に向かって…。」と言われるので、「いい加減にして下さい。私はそんなに少なくするのは反対です。」と言ったことがあるのです。「ゼミナールならともかく、あなた二十人の教室がそんなに楽しい教室だと思いますか?先生のように優等生の経験しかない人は、出来の悪い子供にとっては教室の片隅も大事なんです。同時に、私の場合は五十六人のクラスでしかも中高一貫教育で毎年のクラスの編成変えでたくさんの良き友人ができました。今でも続く交流は私にとって貴重な財産になっています。」と言って私は逆襲したことがあります。
さて、平成十四年から学校五日制が完全実施されます。私は先生方の労働を軽減し、勉強時間を増やすために五日制は時代の流れで結構。しかし、子供だけは六日制にしろと。そして子供の六日目の土曜日をどうするか。要するに、いわば地域社会のボランティア活動等、子供の集団教育を積極的に奨励すべきだと。私はあえてそういう注文をつけました。最近の子供が山へ行ったって、ろくすっぽ歩けない。基礎体力が脆弱ですぐ座りこみます。非力な子供はその子供の将来にとっても不幸ですから、将来に向かって心身ともにたくましい子供を育てる。人間の連帯感を大切にし、協調性に富み、社会に融和していけるような子供を育てる。そのためには例えばボーイスカウトとかガールスカウトの活動に参加するとか、環境浄化運動等の奉仕活動に参加するのも良い。その他、地域の運動やいろんなサークル活動に参加する中に、そういうものを内申書に盛り込むようにしたら、子供はただいたずらに家にいてテレビゲームに熱中し、近視の度がどんどん進むなんていうこともなくなるのじゃないかと。こんな話をしたところでありますが、最近の子供は五人集まって遊んでいても、私たちの頃と違ってみんな夫々テレビゲーム等で個々バラバラに遊んでいるというのですね。果たしてこれで健全な姿と言えるのでしょうか。そしてまず動かない。これで人間が育つと思うでしょうか。私にはあまり健全と思えないので申し上げた次第であります。
いずれに致しましても、最近は自分さえよければ良いという風潮が非常にエスカレートして、社会が暗くなりました。極めて最近に経験したことを一つ申し上げますが、社会的に著名なある方から依頼を受けたんですが、自分のたった一人の孫が茶髪をやって困った。みっともなくて仕方がない。その子が外に行くたびにゾッとするので、子供にいくら言ったって、そんなもの僕の勝手だと。「そこで先生、あなたのことを尊敬しているので、注意してくれませんか。」と依頼がありました。私は早速本人に会ってみました。相手は大学二年生、「君ね、その茶髪、何とかやめられないの?本当にそれが良いと思ってやっているの?今の流行だからちょっとやってみたというだけなの?だからやってみたはいいけれども、それで面白くないからやめるというような気持ちになれる?」と言ったら、「先生、私がどんな髪の毛しようと勝手でしょう。これは個人の自由ってものじゃないですか。」と一応の理屈をこね出した。「ああ、そうかも知れない。」実は私、ずっと以前に長髪の子供に意見を頼まれたことがあったので、同じようなことを言ったのです。「君が自由だと言うなら、君はそのままそれを続ける気なのか。」と言ったら、「そうです。」と言うので、「じゃあ聞くが、君のおじいちゃんが『自分はこの髪型がいい』と言ってちょんまげ結っても文句はないね?或は女の人のカツラを頭につけたらどうする?おじいちゃんは『俺の勝手だ。俺の自由だ』と言ったら、君は文句ないんだね?」そうしたら、「困る。」と言うんですよ。何でか?と聞いたら、「みっともないです。」と。「君のおじいちゃんは同じこと言ってるんだよ。君がそんな変てこりんな金髪にしているから、本当に世間に対して恥ずかしいし、君の将来にもプラスにならないと心配しているんだよ。」と言ったわけです。その時にはそのまま平行線でした。しかし、一カ月ぐらい経ったら嬉しそうに電話があって、本来の黒髪に戻ったそうです。やっぱり本人も少し考えたのかも知れないけれども、自分の自由を主張するなら、相手の自由も認めろということが少しくこたえたらしい。どうも最近は時流に逆らう、或は古臭いと言われることを恐れて、嫌なことにも逆らわない傾向がある。これでは世の中歪むばかりだと思うのです。
さて、そろそろ話をまとめなければいけません。実は私、「今の日本人のものの考え方を根本から改めないと日本の将来がない」ということを時に触れて訴えているんです。で、一つの例を申し上げると、消費税の問題があります。こんなもの私は学校で基本をしっかり教えたらいいと思うのです。こんなもの政治の話だと言ったら大間違い。例えば一昨年、私は農林水産大臣在任中、農林水産大臣としてでなくて、東大の「産業総論」というところで講義を依頼されて、一時間半喋りました。初めは何でも結構ですが、例えば「人のネットワークと政治」という題ではどうですかと教授が言われるので、私は戦後の鳩山・吉田、石橋・岸、池田・佐藤、田中・福田、田中・中曾根、中曾根・福田各首相が人のネットワークをどのように活かし、夫々の時代における政治課題に対処したかを対比しながら最後に橋本龍太郎さんで結ぶ話を組み立てて持っていきました。そしたら、現職大臣を迎えて、万が一不穏分子が変なことを起こすと大変だというので、少しくそれに対する事前説明が長かったので、急に私の気持ちが変わったんです。待てよと、俺は正直言ってジャイアンツファン、スポーツニュースもセリーグの方が終わると次にまた切り替えてしまう。それも巨人中心の興味だ。考えてみると今から話をする対象者は自民党の人ばかりだなと思いました。学生たちの中にはアンチ自民党も多いだろうし、そんな中でとうとうと自民党の政治史のような話をするのは考えものだし、若い学生諸君は古い政治家のことをほとんど知らないんじゃないか。これじゃあ、面白くないと思いついて原稿を全部横にどかしました。で、私は工学部の学生は実社会からエリートとして迎えられるだろうが、技術者として専門的な研究を進める一方、経営者としての自覚を併せ持って行動しないとつまらない結果になるよと。私が会社へ同期に入った五名の東大工学部卒を例にとって話しました。初めは五人揃って一番上座で胸を張っていたのが、五年、十年、二十年節目毎、だんだん隅っこにいったその経過について私は私なりの分析で話をしました。技術者は自分の研究課題に取り組んで、それを深く掘り下げるが、自分の掘った穴の中で視野狭窄を起こし、実社会と隔絶されてゆく傾向がある。教授にたまたま講義の前に文部省予算で購入した最新鋭のコンピューターを見せていただいたが、あのコンピューターだって十年、二十年先には隅に追いやられて塵をかぶらない保証はない。諸君も心して「技術屋バカ」にならないよう注意すべきだ。そしたら満場シーンとして、二百人以上の学生が真剣に聞いてくれました。そういう中で経営者というものとなれば、今まで諸君は工学部の優秀な学生であったわけだが、日本の政治経済の実態や、或は国の現状と将来について考えるぐらいの気持ちがなきゃ本当に良い将来に繋がらないという話の延長線上で、私は国家財政の話なんかをしました。そんな中で、消費税の話もしたんです。日本の消費税は三%から五%になったのですが、国民からメチャクチャに批判を受けました。皆さん、お隣りの韓国は一〇%です。インドネシア、フィリピンも一〇%です。そして中国は一七%です。ヨーロッパでは、ドイツ一六%でイギリス一七・五%、フランス一九・六%です。イタリア二〇%、ベルギー二一%、フィンランド二二%、ノルウェーが二三%、そしてデンマーク、スウェーデンが二五%です。三%から五%にしたらけしからんと言って、橋本首相は火だるまになった。同時に医療費についてもわが国の医療費は高齢化社会の到来もあって、急速に増える。今までの医療費負担では将来に向かって責任は持てないというので、医療費の改定をして、個人負担を増やして戴きました。これも財政構造改革だったわけです。しかし、これもまたけしからん。そしてその一方でご承知のあらかじめ消費税を上げて戴くために栄養剤を打ってあった特別減税、この二兆円もこれでやめさせて戴きますとやって、消費税の二%が約五兆円ですから、健康保険と特別減税を全部合わせると約九兆円、その分、国はむしろ今度は収入が増えて、出が減るという計算をしたわけです。それが参議院で惨敗して、橋本さんの首が飛びました。
問題は、これを見て下さい。日本は世界一の長寿国ですよ。なるほど今、六十五歳以上の人が一番多いのはイタリアです。二番がスウェーデン、三番目が日本です。しかし、その数字は極めて近い数字です。皆さんにお考え戴きたいのは、少なくとも平均寿命で見ると日本は世界一です。ということは医療費が一番かかる国なのです。ここにおられる方々は健康ですからいいですが、暇だとお嫁さんに言われて病院に行っている人が東京には非常に多いのです。うちの方では老人会がダンスを始めました。その結果、医療費も激減しました。いかに行かなくていい人が多かったのか、或はダンスをやって丈夫になったのかも知れません。問題は一番お金がかかるといったらまだ、ピンと来ないかも知れません。六十五歳以上の人がそれ以下に比べて医療費が幾らかかるかと言うと、四・八八倍かかります。また、歯科医療費は一・四二倍かかります。こういう事々を考えた時に五%でやっていることに無理があるのか、ないのか、誰が考えたってわかることでしょう。問題は説明が足りないことです。テレビは容易に場を貸してくれません。好意的には扱ってくれません。結局、一番いいのは、子供のうちから諸外国がそうであるように税金というものは国民の義務であるということをきちっと教えて、それで幾ら必要だから幾らかかるということにしていかないことには、この国はどうしようもなくなるということを申し上げたい。
そこでここに表があります。これがその数字です。これをちょっと見て下さい。何を言いたいかというと、税・税外収入で例えば平成十二年は五十五兆二千億円戴きました。今度のいわば補正を入れて八十九兆八千億円の予算になります。言うなれば、五十五万二千円の収入で八十九万八千円の生活をするのですから、当然、借金しなきゃ足りません。結局、サラリーローンで借りました。そんな金利が高くないけれども、三十四兆六千億円足りないわけです。去年は三十七兆五千億円足りなかったわけです。この調子でやってきて、この五年間だけでも百四十六兆三千億円も借金がたまったわけです。自分の収入に見合わない生活をしているわけですから当然です。平成元年から今年度までで、二百六十二兆一千億円借金がたまりました。こういうことをトータルするとどうなるのかと。それがこれであります。結局、たまりたまって国は四百八十四兆円の借金、地方は五百八十四兆円、両方でダブっている分がありますから相殺して六百四十二兆円、一人当たり五百七万円。その他の借金が少しありますので、トータルするといわば六百五十兆円あって、一人あたま五百十三万円の借金になる。おぎゃ―と生まれた赤ちゃんから百何十歳になっても一人当たりこういう数字になっている。医療費も問題です。医療費はこんな具合に伸びます。平成七年というのは昭和七十年にあたりますが、この時を起点に実は調べました。橋本首相は何で医療費を改定したのか。平成七年度、二十七兆円の医療費は従前の健康保険料では五年後の平成
十二年に当初は三十八兆円になる予定でした。十五年後の平成二十ニ年六十
八兆円。そして三十年後には百四十一兆円になる予定でした。借金がいくら
でも膨らむ構図になっていたので、個人に応分の負担をしていただこうということから医療費を改定したのが例の二兆円増税と言われた医療費の改定です。その結果、三十八兆円になる予定が二十九兆円に減ったわけです。これは政治家として当然のことをやったまでです。問題は説明が少なくて、唐突であったために橋本さんの首は吹っ飛んだわけです。少なくとも、税収に見合った予算を組まなかったら借金が増えるのは当たり前です。このままでは国の将来が暗くなるということは言うまでもないのですけれども、私は学校教育で社会人になるための常識としてこれくらいのことはきちんと教えるべきだろうと思います。
 学生は不真面目だと思ったら大間違い、工学部の人は専門外のことには不熱心かと思ったらとんでもない。そして、私はさすが東大工学部だと思ったのは心の篭った手紙をたくさんくれたことです。その手紙の中で、ただ一つさすがと思ったのは、政治家という人種は出まかせの嘘を平気で言うと思い込んでいたので、あなたの話、どこまで本当かどうか、あなたが挙げた九つの数字を八つの省庁に連絡して調べたら、小数点以下まで全部正確だった。政治家を見直したと書いてあり、そこから先の呼称は「先生」になっていました。「先生、あなたに対してこういう失礼なことをしたけれども、あなたがいかに正確な話をしたかということをみんなに伝えることでご寛怒願いたい。」こういううれしい手紙をもらいました。これは自己宣伝ではありません。要は、私は日本の現状というものを正確によく知って戴いて将来に向かってどうあるべきかということを教育の場でしっかり教えることが肝要だと思います。自覚と自分の義務、負担すべきものは負担するという常識を教えるのも教育の一環として非常に大切ですし、こんなふうに思う次第です。今日、わが国経済は未曾有の不況にあえいでいますが、それでもなおこの国は経済で滅びることは絶対ないと私は断言致します。ただし、この国が滅びることがあるとすれば、戦後いわば膨らみに膨らんだ日本人の精神構造のバブル化、良いことすべて当たり前の順境病。国を愛さない、社会を愛さない、自分勝手な人たちばかりになって贅沢に走り、日常行動が自堕落になったらこの国が滅びることがあり得るだろうと。こういうことを言ってきました。たまたま、地中海貿易を支配下に収め、ヨーロッパの富を一国に集めて不滅の国と言われたローマが滅びました。ローマはだんだん豊かになるにつれてローマの人たちは働くことを嫌がるようになった。特に危険なこと、汚いこと、きついことを避けるようになり、今の日本人によく似ていると思うのです。そして同時にローマは自分の国を自分で守ることをせずに、アフリカの傭兵によって国を守った。その結果、ローマは滅びた。ドイツの有名な哲学者、エマニエル・カントがこう言っています。「北狄来たりてローマは滅びたにあらず」=北の蛮族が来てローマが滅びたのではない。「ローマはローマ自ら滅びたるなり」。私は日本の国がこのまま推移して行くと、教育の場からこの国が崩壊しかねないという意味でこれからの教育について、皆さんのように社会的に影響の大きい方々からしっかりと教育の重要性、そして国を挙げ、社会を挙げ、家庭を挙げて子供の教育にあたって、正しい教育、そして今まで慣れ親しんだ教育じゃなくても、新しいあるべき姿をきちんと持つ本当に大胆な教育改革がなければ、この国の将来はないんだということを是非この九州の地域におひろめを戴きたいと、結びにお訴えを申し上げて、私の話を終わらせて戴きます。ご清聴を感謝申し上げます。有難うございました。(拍手)


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